Hommage a TOKIO KUMAGAI

パリをデザインの拠点とし、東京コレクションで発表を続けたファッションデザイナーの軌跡をたどります

かつてのTOKIO by DOMON事業部の方にお話をうかがいました

 今年創業50周年を迎える老舗のファッションメーカーJUN様にTOKIO by DOMONに関して何かお話がうかがえないか、HP上のフォーマットよりカスタマーサービスの方にご相談したところ、かつて事業部にいらした方がご自身のご記憶にある範囲で、質問にお答えくださいました。
 今回ご紹介する内容は、あくまでも私の個人的な質問に対して事情をご存知の方がおわかりになる範囲で個人的にお答えくださったものであり、株式会社JUN様の公式見解ではありません。
 以下、質疑応答です(ほぼ原文を掲載させていただきました)。
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Q1 ヨーロッパで活動していた熊谷登喜夫氏(以下熊谷氏)を御社がお知りになったのは、いつごろ、どのような経緯で、ですか?
当時のDOMON事業部責任者が退職しておりますので、お答えすることはできません。
Q2 おそらくそれまでメンズを手がけたことの無い熊谷氏のクリエイションに注目し、彼のデザインでメンズブランドを立ち上げようとお考えになったのはどなたですか?佐々木進御社社長でいらっしゃいましたか?
上記の理由で基本的には不明ですが、ブランド設立の最終承認をおこなったのは、創業者(現、株式会社ジュン 代表取締役会長)の佐々木忠です。
Q3 『dansen』1983年11月号によると、熊谷氏が’80年パリにA.B.C.デザインというアトリエを設立して間もなく(同年6月)御社とTOKIO by DOMONの契約を結んだとあります。熊谷氏のアトリエ設立に御社は出資なさったのでしょうか?
単純なABCデザインとのライセンス(日本国内の販売権)契約のみだと記憶しています。
Q4 JUNブランドではなくDOMONブランドから発表されたのには理由がおありでしたか?ブランドの世界観やターゲット層について、当時のJUNとDOMONについて少しご解説いただけないでしょうか?
1980年代中頃、JUNとDOMONのテイストはお互いヨーロピアンスタイルを継承しつつも、JUNはよりコンサバティブに、一方DOMONはよりモダンに発展していきました。
一言でいいますとJUNは「真面目・正統派」、DOMONは「ワイルド・悪童」といった感じで、TOKIO by DOMONはDOMONブランドに溶け込み易い環境だったのではないでしょうか。
Q5 TOKIO by DOMON名義のランウェイショーは開催されたのでしょうか?(上記『dansen』で「レブルス」ショーの準備風景のような写真を見つけました)
1980年「ザ・ポリス」で確かにDOMONとTOKIO by DOMONでファッションショーが共催されました。
場所は東京新宿にある文化服装学院で、その後複数回都内の会場でも共催されていました。但し、1983‐84年F/W「レブレス」と1984年S/S「サファリ」についての記憶はございません。
Q6 ’80-‘81秋冬「ザ・ポリス」、’81春夏「マリン」、’81-‘82秋冬「山」、’82春夏「ジョッキー」、’82-‘83秋冬「スパニッシュ」、’83春夏「ギリシャ」、’83-‘84秋冬「レブルス」、’84春夏「サファリ」・・・上記8回以外にTOKIO by DOMONのコレクションは展開されたのでしょうか?
当時、コレクションの商品は数軒のDOMONショップにて併売されておりました(namourOK注:DOMONブランドは現在存在しません)。但し、はっきりとした記憶がございますのは「ザ・ポリス」〜「スパニッシュ」までで、それ以降の記憶が曖昧です。
Q7 御社ではパリで展開していた熊谷氏のレディスの靴を輸入販売する企画はあがらなかったのでしょうか?また、レディスプレタポルテのコレクションを御社から発表するという企画は持ち上がらなかったのでしょうか?
正確には不明ですが、両者共に実現化されておりません。
Q8 ‘83年に熊谷氏が東京でTOKIO KUMAGAÏ INTERNATIONALを設立されたときは既に御社との契約は終了していたのでしょうか?設立に際し御社は出資なさったのでしょうか?
正確には不明ですが、1983年頃ABCデザインの経営が悪化し、株式会社イトキンが再契約したと聞いております。
Q9 TOKIO by DOMONが終了したのはどのような理由でしょうか?売上が芳しくなかったのでしょうか?熊谷氏のクリエイションが御社の世界観から逸れていってしまったのでしょうか?タムラユミコさんの「EX」に集中しようとお考えになったのでしょうか?
弊社はABCデザインとの契約問題でブランドを終了したと記憶しております。従って、MD的な問題ではないと思われます。
Q10 外国にアトリエを持つ日本人デザイナーとの協働という形は当時稀なケースだったと思うのですが、ご苦労なさった点はございますか?
詳細はわかりませんが、熊谷氏は人間的にとても温和な方で、コレクション毎に来日され弊社のスタッフともよくコミュニケーションがとれておりました。
Q11 TOKIO by DOMONというブランドに対して、回答者様ご自身のご見解を教えていただけないでしょうか。今でもTOKIO by DOMONのアイテムをお持ちでいらっしゃいますか?
1980年にTOKIO by DOMONがデビューした時、私も弊社に入社一年目でこの業界の事がまだわからない時でしたので、全てが初めてづくしだったのを思い出します。
当時は(あくまで記憶ですが…)DOMONブランドのウールのパンツが9,800円の時代に「ザ・ポリス」のウールギャバ側章パンツが16,000円とかなり高額なプライスで驚きましたが、そのデザイン性、シルエット等に魅了されて以来TOKIO by DOMONのファンの一人になりました。
いくつかの製品を友人等に譲渡しておりますが、まだ数点は現存しているようです。ちなみに私事ですが、今でも皮革製品のグローブを愛用いたしております。
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 あいにくとJUN様では現在TOKIO by DOMONに関しての資料をお持ちでいらっしゃらないということです。どなたがパリで活躍中の登喜夫さんに注目なさったのかはわからずじまいですが、TOKIO by DOMON無くしては登喜夫さんのクリエイションが日本に届かなかったといえるでしょう。
 キャンペーンに海外の大御所フォトグラファーを起用したりTVCMを放映したり、ファッションから始まって食・レジャー分野にまでこだわりの提案を続けておいでのJUN公式HPはこちら
http://www.jun.co.jp/
 ご回答者様にはこの場をお借りしてお礼申し上げます。