Hommage a TOKIO KUMAGAI

パリをデザインの拠点とし、東京コレクションで発表を続けたファッションデザイナーの軌跡をたどります

L’Officiel Blog 2012/02/04

 モード雑誌L'OFFICIELのブログに面白いエントリーを見つけました。レタッチ写真で独自の世界観を創り続けているピエール&ジルの初期のモチーフは「証明写真」photomatonだったのですが、その作品の中に、登喜夫さんがピエールと写っているものがありました。
Tokio avec Pierre en photomaton
 Sur le blog de L'OFFICIEL, le 04 fév 2012 (au sujet de Pierre et Gilles)
Tokio with Pierre on ID pics
 On the L'OFFICIEL blog, of the 4th feb 2012 (about Pierre et Gilles).

『BRUTUS』1985年12/15号 No.125 マガジンハウス(4)

Et Tu, BRUTE ?
重力のフェティシズム 熊谷登喜夫(デザイナー)

  • 所変われば光も変わる。光陰、“映画”の如し。インドで満月と戯れる

 パリジェンヌはパリで見ている分にはきれいなのに、日本に連れてくるとブスになる。それは、光が違うということだと思う。たとえば、パリで撮った写真は色がきれいなのに、日本ではあの色が出ない。あれは、フィルムのせいではない。スキー場でのハンサムは東京でもハンサムとは決まっていないわけだ。それほど光は人の感性を左右するものだし、すべてを存在させていくわけだから、僕は光は神様だと思っている。
 大体、物の照らし方というのは、文明圏、文化圏の違いによって自ずと変わってくる。合理主義的な商品の照らし方というのもあるだろうし、日本などは本来、全く異なった光の体系を持っていたはずだ。その証拠に、映画監督では、日本ではゴダールトリュフォーがよく取り上げられるけど、フランスの雑誌でインタビューがあって、一番尊敬する監督はって聞くと、必ず溝口、小津がトップを占める。ヌーヴェル・ヴァーグの人たちは誰でも溝口を尊敬している。あの光は、向うでは考えられないほどショッキングなことなのだ。(最近パリで『乱』を観た。友達の日本人は『影武者』の方がよかったとか前評判はそんなに芳しくなかったけど、僕は好きな映画だ。ついでにいえば、ブラジル映画の『蜘蛛女のキス』は素晴らしい。ロバート・ヘイズとかいう役者がいい。ふだんは眼鏡をかけてヒゲはやしてインテリっぽい役者なのに、あの役はすごくうまい。日本でかかったらおすすめもの。パリのいいところは、この前のユーゴ映画『お父さんは出張旅行』みたいな、いい映画をかける映画館がいっぱいあること。小津も溝口も全部パリで観た)
 日本ではかげという言葉は古来から、光と影の両方の意味合いを含んでいたのだし、かげに対する感受性は硬度に発達していた。それがいつの間にやら光の均一化が進み、均一な空間に慣らされてしまっている
 インドで満月の夜を過ごしたことがある。なにかの視線を感じてなに気なく空を見上げたら、そこに月がある。そのまばたきしない月から、ぼくは目を離すことができなかった。色が見えるのだ。濃いグリーンとか紫とか、色で表現されていくし、陰のディマンションも刻々に移り変わる。とうとう、ぼくは月と一緒に砂浜までたどり着き、なんとも違う天体にいるような、不思議な浮揚感を感じた。

  • ガウディにスケールを感じ、コルビュジェの完成度とハイセンスに脱帽

 ヨーロッパに住むと建築の重要性を肌で感じる。東京では作ったら壊す、作ったら壊すにすぎないが、向うの場合は何百年も何世紀も残るようなものを必死で作っていくから、建築に対する情熱も違うし、よくできている。特にフランスの場合には、王様の伝統だと思うけど、大統領が変わればなにか作って残していく。西洋人にとって権力と建築というのはひとつの重要な要素なのだ。
 ガウディには鳥肌立った。スペインでも仕事をしたので、バルセロナにはよく行った。彼の作品は全部見ていないが、例の、ガラスの破片とかタイルを使った公園、あれは写真のほうがきれいだと思った。それにまだサグラダ・ファミリア教会はまだ建築中で、完成まであと100年か150年かかるらしい。本当のカトリックの教会はすべて基金によって建てられる。すごいスケールを感じる。
 コルビュジェの建築そのものはひとつしか見ていない。むしろ彼の、椅子とかファニチュアが好きだ。その完成度とハイセンス、クロームのハイテックなものにアフリカでとってきたような動物の皮を乗せたり、テイストが高いし、機能美は完成されたものがある。バネなんて、ヨーロッパではごく日常的な、自転車やトラックの荷物を引っ掛けるゴムを使用したり、ああいう日常的なものを使えるというセンス。異質なものをの組合わせをつかんだ人だと思う。建築にしても現代的でありながら、完全な冷たさに終わっていない。建物の中に台所があって、太陽のあたるガラスがあって、日光浴ができて・・・。理論的なことは不案内だが、彼の作った作品を通してすごい才能を感じるし、彼の後代の建築家に残した影響力は計りしれない。
 ぼくはポスト・モダンのものにはほとんどテイストを感じない。でもメンフィスでもアルキミアでもいいものはある。これは個人的な趣味かもしれないが、ソットサスのガラス細工はすばらしいし、ポスト・モダンといっても丁寧なものもある。ガラスの厚い円形に全部違った素材で、形も違う4つの足がついている作品などはとても好きだ。要はポスト・モダンというコンセプトなんかより、ものを作る段階ではマテリアル自体が大切なのだろう。人間が持っているひとつの価値観というものとマテリアルとのバイブレーションは、形とかというものよりもっと重要なことに思える。

『BRUTUS』1985年12/15号 No.125 マガジンハウス(3)

Et Tu, BRUTE ?
重力のフェティシズム 熊谷登喜夫(デザイナー)

  • ペニシリンの大量投入に、意識不明の瞼に浮かぶ幼少のみぎりの体験

 フェティシズムを日本語に訳すと胎児主義ということになる。フェティスとは胎児のことだ。近い意味でオプセッションという言葉もよく使われるが、これは無意識のうちにひかれていくもの、なんとか教の教に当たる。たとえば白黒しか好きになれないとか、女の子でもこういう女の子しか好きになれないという場合に使われることが多い。フェティシズムというのはもっと広義の、胎児体験みたいな、つまり、人間が本来根源的な意味合いがあるのではないだろうか。胎児のときの経験というのは言葉に還元できないものだし、ぼくなどはふだん、大変セクシャルな意味で使っているようだ。
 その胎児というのは胎内にいる時浮いた状態にいるから、まだ重力に犯されていない。ぼくはなにか(特に靴)をデザインする時、この重力のフェティシズムをどこかで感じている。ただ胎児の重力感といっても、軽ければいい、浮力をつければいいというものでもない。アプローチの仕方は無限にある。
 たとえば先だってのジャパン・クリエイティブ展で、「食べる靴」というのを何点か出品した。コロッケの靴とか、お赤飯の下駄とか、ウェディング・ケーキのハイヒールとか。これなども、いわゆる靴というイメージがあらかじめ持っている重さを、なんらかの形で裏切りたかったというところがある。
 しかし、これだけフェティシズムを連発しながら、実は、ぼくはまだ胎児の頃の記憶を意識の表面でとらえたことはない。最も古い記憶というのは、ぼくが1歳前、10か月の赤ん坊だった頃のものだ。これは、ちょっとした事故がもとでよみがえった。
 オートバイに乗ってパリの町を走っていたら、追突されてしまったのだ。大したことはなかったのだけれど、夏だったからこっちはランニング1枚の軽装。右肩から腕にかけて擦ってしまった。後々のことを考えて病院に行くと、なんとも無造作にフランス人並みのペニシリンを注入されていた。大体、日本人とフランス人は体質も体格も違うのに、これはたまらない。身体がガタガタッときて、完全に意識不明になってしまった。その時に見た映像が、ぼくが10か月の時に使われていた部屋だったのだ。なにとなにが置いてあるとか。あとでお袋に確かめたら、その通りと驚いていた。

  • ハイテクと反比例して次なる世紀までには、土が素材として復権する

 もしこれから宇宙の開発が進んで人が月に住むようになったとすると、当然、月に行くという段階においてより高度のハイテクノロジーが参加してくる。人間という有機体が生きるためにはシミュレーションが必要なのだから。だけど、月というところには完璧に土と石しかない。そこで21世紀の新しい美学として、教育の中に土とか岩とかいう素材がまた入ってくるような気がする。ちょうど、日本でもお公家さんなり将軍がやっていたバロックに対して千利休が全く逆を見せていった、あの両極端の美学みたいに。ただ、これは21世紀を待つまでもなく、すでに幾人かの意識はそこまで行っているから、これからは土という素材が注目されるだろう。
 土とひと言でいってもいくらでもバリエーションはあるし、こんなにカラフルなものもない。日本はグレーとか茶色とかが多い。メキシコに行くと本当に赤っぽい色があったり、紫の土があるかと思えばピンクもある。世界中歩いてみると、地球はあらゆる色におおわれていることに気づく。

『BRUTUS』1985年12/15号 No.125 マガジンハウス(2)

Et Tu, BRUTE ?
重力のフェティシズム 熊谷登喜夫(デザイナー)

  • 知るにつれ靴から広がる重力の法則。靴は人間のアースなるか

 インドからパリに帰って、自分なりに新たな動きをとってみると、けっこういろんなつながりがあることに気づいた。不思議なことに、思いもよらないところから、一緒にやってみないかといった話がでてきたりする。自分の仕事を変えるチャンスを得たわけだ。
 ずっと服のデザインをやっていたから、靴も時々やってはいた。靴を本格的にやりだしたのは、まだまだ遅れている分野だからやる余地がありそうだし、長くやれそうな気がしたのだ。実際にいろいろ試しているうちに、靴は彫刻だと思うようになった。靴の場合の計算というのがミリ計算だし、そこの中(1ミリまではいかないとしても5ミリ単位と思っていい)で動くことで、形のもっているエクスプレッションが全然変わってくる。これは、洋服では全く気づかなかったことだ。
 それに、たとえば自分の足に合わない靴をはいて足が痛くなった時ほどマイることはない。足というのは身体の重みを全部受けなくちゃならないところだし、それほど重要な場所なのだ。
 大げさにいえば、重力をどう感じるかで意識は全く変わってしまう。だから宇宙に行った人は、必ず、なんらかの意識の変化をともなって地球に舞い戻ってくる。何十時間でも年百時間でもいいけれど、ある重力の関係もしくは消滅によって、人間の皮膚感とか神経とか機能が違う作用を起こしてしまい、今まで持っていた価値観が逆転させられるのではなかろうか。
 アメリカに、リラックスのためのお風呂屋みたいなのがある。そこでは部屋を真っ暗にして、すごい塩分の強い水の入ったカゴの中で睡眠をとれる仕組になっている。それに入ると身体が浮いてしまう。全く胎児の状態と一緒になるわけだ。
 アメリカ人というのはナイーブだから、すぐその気になるところがある。たとえば日本料理が流行る。と、ヘルシーで絶対太らない食事だと信じて寿司でもビックリするほど平らげてしまい、健康にいいとか平気でやっている。インスタント・ラーメンまで日本食と思って、一所懸命食べている。ところが、ぼくは前述の風呂にしても、アメリカの友人の強い誘いを受けていったのだが、緊張してしまって浮かなかった。なにかが重くなって簡単には浮かなくなっているのかもしれない。

  • ヨガにて足の裏を開発。素材の微妙さを識別し辛さを感受するに至る

 足の裏はくすぐるとすごく感じやすい。だけど、歩いている時に感じやすかったら、くすぐったくて歩けやしない。足の裏は感じやすさと同時ににぶさも持っている。そのふたつを持っている足の裏って面白いな、というのが靴のデザインを始める前のぼくの、漠とした印象だった。それはおそらく、ぼくだけではなく、靴をはき始めた民族が持つ共通の、足の裏に関する二分法なのかもしれない。
 ところがニューヨークにしばらく住んでいた頃、ヨガをやったことがある。あれはおかしかった。だんだん訓練していくと、人間の身体の各部分部分がこんなに多様に感じるものなのかが分かってくる。鼻の穴にしても、呼吸のコントロールひとつですごく感じやすくなるし、目の裏なんて信じられないほど開発される。大体、胎児というのは全身リビドーだという話を聞いたことがあるけど、ヨガはそこまで意識を深める。
 具体的な医学療法として、あるところを治すために意外なところに針を打ったりするが、足の裏はツボの宝庫だ。だから、ヨガをやると足の裏を手のように感じてくることがある。ふつう靴をはいているせいもあって、足で冷たい熱いという感じはあったとしても、柔らかいというのはぼくらの行動範囲の中で足を使ってやっていない。ところがヨガをやっていくと、本当に柔らかいとか硬いとか素材の微妙なところまで識別できるようになるし、しまいには辛いという味覚まで感じられるようになる。足の裏は感受性豊かなところなのだ。そしてこれは、文化というものがいかに足の機能を一元化させているかという逆証明にもなる。いやこれは足だけではなく、たとえばエクササイズ次第で、舌についてもいえることなのだ。ふつう、空気に味があるかどうかは舌では感受できない。ところがそれを、舌で感じたりできるようになる。
 ぼくはたまたま踊りや舞台を観に行くが、その度に思うことがある。それは舞台の床の素材のことだ。歌舞伎が石の上で演じられてもしっくりいかないだろうし、バリ島の踊りがひのきの舞台で演じられても落ち着かない。それを意識的に変更する場合もあるが、どうしても人が立つところが気になってしまう。そして、うまい踊り手や役者は、足の裏の感受性が優れていることで共通している。

『BRUTUS』1985年12/15号 No.125 マガジンハウス(1)

brutus_125

Et Tu, BRUTE ?
重力のフェティシズム 熊谷登喜夫(デザイナー)
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 『BRUTUS』のリレーコラムに登喜夫さんが寄稿したものです。
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  • 住めば都。住まずとも、タクシーの窓越しにパリの都にひと目惚れ

 学生を終えて、まだ仕事というものを全く経験していないうちに、あるデザイン・コンテストで賞をもらった。副賞として、エール・フランスからパリ往復の切符がでて、10日くらいのホテル滞在のプレゼントつき。切符のほうは1年間有効となっている。初めてのパリだ。その頃のパリは日本人が大挙して行き出す一歩手前だったから、まわりを見まわしても渡仏体験者は限られていた。70年のことだ。
 パリに着いたのが花の都の最盛期の7月で、ひと目惚れという感じで、飛行場からパリの中心街に向うタクシーの中で、「ここに長く住もう」と発作的に決めていた。なんのあてもなかったのだが。
 それ以来、パリに住みだして15年たつ。途中10か月ほどニューヨークに住んだこともあるが、ニューヨークはぼくの街ではない。今でも好きだけれど、ぼくの住む街ではないなというのがその時の結論だった。あの街は好きか嫌いかどっちかはっきりしている。ぼくは、もっとああいう乾いた感じよりウェットな空気のほうが合う。
 まずパリでやったのは、フランス語の勉強。そして仕事探し。向うは日本と違って、有名な会社でも若いフリーのデザイナーから一枚いくらでデザイン画を買ってくれる。だから何十枚か描いて行けば、ちょっとした煙草代くらいにはなった。そんなことをやりながら、今は有名になったけれど、カステル・バジャックと出会い、彼のアシスタントを3年やり、独立することになる。フリーになって、フランスとイタリアの会社の仕事をやりながら暮らしを立てていた。79年頃までそんな生活が続く。美しい生活だった。偏った旅だけれど、世界一周を8回くらいやっている。

  • 悠々自適のフリーの仕事。世界を巡り回って、インドでピリオド

 プレタ・ポルテというのは年2回のコレクションで動いているから、6か月にひとつずつコレクションを作っていけばいい。3つくらいのクライアントがあって、パリに4か月、ヨーロッパに4か月―イタリアの仕事をしていた時はイタリア往復もあった―、そして2か月のバカンスをとって、世界一周をして戻ってきて、また4か月仕事をして、という生活を6年間続けた。
 僕の旅は偏っていて、北アメリカと東南アジアということになりがちだ。回教の国はダメ、アフリカはエジプトとモロッコ北アフリカしか行ったことはない。どういうわけか、砂漠には行きたいとは思わない。
 インドにはよく行った。ところが、あれはたしか’78年か’79年だったと思うのだが、インドのゴアで、つくづく美しい夕日を見てしまった。真っ白い砂浜にものすごくでかい太陽がゆっくりと沈んでいく、と書いてしまうと、なにやら歌謡曲か童謡によく使われる言葉だけで文章になってしまうが、そんな口あたりのいい太陽ではなかった。たまたまその時カセットを持っていて、キャール・コフの「カルビナミラナ」というとてもダイナミックな曲があるのだけれど、ボリュームを最高にあげてみることにした。よく分からないのだが、なにかボリュームを最高にしなければバランスのとれないような夕日だったのだ。と、そのうち、こんな気楽な生活は一生続くはずはないな、と思えてきた。
 フリーというのは責任があってないようなもので、与えられた仕事をクライアントが満足する段階でだけやっていればいいというところがある。特にファッション・デザイナーの場合は、そういうことがあった。クライアントの要求を満たす器用さがあれば、仕事を継続していけたのだ。しかし、その時、自分の本当にやりたい仕事は他にあって、それから逃避していたように思えてきたのだ。ボリュームをあげて初めて気づくノイズみたいなものかもしれない。このまま続けようと思ったら40の後半までは続けられるだろうけど、その頃にこういう生活をやっていたら絶対後悔するだろうな、という不安が直観的にでてきた。それまでとても幸せな日々が続いていたのだけれど、その夕日を見て、自分でなにかやろう、と決心したのだ。気づかないところで機は熟していたのかもしれない。

Homme タグ THB7-309180

THB7_309180

 アクションペインティングシリーズとでも言いましょうか、白のコットンシャツに黒で手書き模様をのせてあります。
 これは肩の部分に縦にストライプが描いてあり、脇の部分のストライプ加減を見ると本当に一枚ずつ手書きしたのか、と思わされます。プリント地にせよ、カッティングの関係上布を贅沢に使っていたのは明らかですね。
☆ Chemise en coton blanc, rayeur à la main : de sa griffe Homme
 Une chemise en coton avec des rayeurs effet peint à la main. En regardant le bout, ils ont utilisé sompteusement le tissu.
☆ White cotton shirt, hand painted stripes : from his brand “Homme”
 A white cotton shirt, with stripe hand-painting. According to the details, we can consider they have used a lot of clothes.

『いつも心に少女。』商業界 たかのてるみ+T・P・O編(4・終)

T もう、なんか、さっきから誉められどおしで・・・。タマに会うから、ちょうどイイんだろうね。
Y うん、私も年に一度ぐらいはパリに行くからね。クマに会えるのも楽しみだしさ。スケジュールがつまっていても、クマとは食事をして、お互いにさ、近況報告してるよね。クマがパリでだんだんと才能を発揮している様で、話を聞くのも楽しい。でも、なぜ靴で有名になったかっていうのはさ、私、思うんだけど、いろいろやってきて、その中で、たまたま靴が一番先に注目を浴びたってことだよね。
T 服とか、いろいろやったんだけど、その中で、偶然に靴に興味を持つ様になって。それに、八〇年代に入ると、靴にかなりの関心が集まっても来たじゃない・・・。
Y 日本では、靴のデザイナーとして、一躍、脚光を浴びちゃって。でも、私はクマのことよく知ってるから、やっぱり服のほうでも、もっと騒がれてもいいと思った。ほら、ジャケットなんて、スゴク、イイ感覚してるなぁって思っているから・・・。
T もともと服のデザイナーだもん。服はどんどんやっていくよ。
Y クマはさ、将来も、ずっと、デザイナーをやっていきたいわけ?アーチスト志向の。
T でも、一応は会社組織なんだよ。僕のところも。(笑)
Y でも、いつも、こういう風よね、クマは。ヨーロッパ的な考え方なの。私は完全、エコノミックアニマルだから・・・。
T ハハハ・・・。
Y そういうこと。最初パリに行った時にクマから言われたの。典型的な日本人だって。なんでそんなにセカセカ働かなくちゃいけないのかって。クマはパリの生活になじんできたからね。私の『ミルク』時代(namourOK注:柳川さんはミルクの初代デザイナーでした)とかには、よく「自滅するぞ」って言われたよね。
T ああ、そうだったネ。
Y あの頃は特に。オーナーじゃなかったし、売れる服じゃないといけなかったし、会社の利潤も考えなくちゃいけなかったし、自分の好きなものだけをデザインしていればいいって立場じゃなかったし・・・。
T あ、その頃、川久保(玲)さんと仕事していたの?
Y 一緒にしたことはないの。彼女の服を『ミルク』が仕入れてたことはあったけど。
T 川久保さんって、あの頃は、今の『コム・デ・ギャルソン』とは全然違うのを作っていたんでしょ?
Y 川久保さんは、マドラスチェックなんかのイイ服を作っていたよね。私はあの人の生き方、素晴らしいって思ってる。少しずつだけどじっくりと、自分らしいやり方で選んできたと思う。女性らしいやり方っていうか・・・。
T 個人的には知らないから、わかんない。
Y 性格は、もろに私と正反対、目に見えて繊細。
T 僕だって、繊細!(笑)
Y トキオは哲学を持っているよね。ヨーロッパ行って、そういう部分がより、はっきりしてきたみたい。
T 本質は変わりませんよ。変えようと思っても、人間なんて変わらない。三つ子の魂、百まで。で、絶対に僕って変わらない。みんなそうでしょう?ほら、結婚したり、職業によって変わった様に見えるけど、本質的には、性格って、変わらないと思うんだよね。
Y でも、私たちって、けっこう恵まれているって、最近思うよ。ツイテるっていうか。
T それは、れいちゃん、エネルギーがあるから、そういう結果が出るんだよ。
うーん、そのエネルギーの源が、好奇心なのよね。
Y そりゃあ、そうだよ。人間、好奇心がなくなったら、オシマイだもん。
だから、私は好奇心の固まりだから、すぐに行動しちゃうの。ほら、女らしく、ジッと待っているとかって絶対ダメ。だから、男みたいって言われちゃう。前世が男なんじゃない。守護神が男で、武士だったりして。私の後に、戦国時代の大将がいてね、私が白い馬に乗って、エイヤーッて切り込んで、死んで行くのって、ステキだと思わない?
T このヒトは、いつも戦国時代。(笑)今の東京のファッションは戦国時代みたいなもんだから、大将になるつもりだな?
Y そうそう、それでついでに維新もやっちゃう。高杉晋作にはなれないなぁ。
T れいちゃんは結構、古風だね。じゃあ、僕はもっと古めで。えーと、原始時代のネアンデルタール人でいいよ。(笑)
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川久保玲氏に興味を持っていらしたのでしょうか?