Hommage a TOKIO KUMAGAI

パリをデザインの拠点とし、東京コレクションで発表を続けたファッションデザイナーの軌跡をたどります

三十三回忌

 登喜夫さんが天国に召されたのが1987年の10月25日、昨日がちょうど30年の節目の日でした。
 10月22日の日曜日に、三十三回忌の法要を執り行ったとご遺族の方がご連絡くださいました。
☆ 30ème anniversaire
 C'est le 25 Octobre 1987 que Tokio s'est éteint à Paris. Il est donc 30ème anniversaire depuis. Au Japon, sa famille a célébré cette occasion pour la dernière fois (car dans le bouddhisme après 30ans l'âme de décès monte au ciel).
☆ 30th anniversary
 It was October 25th in 1987 that Tokio passed away in Paris. So it's 30th anniversary this year. In Japanese Buddhism this is the last time to celebrate, because the soul will stay on the sky. Rest In Peace, Tokio...

R.I.P.

 更新が少なくて申し訳ありません。
 昨年のことなのでご存知の方も多いと思いますが、登喜夫さんのアシスタントとして長年クリエーションを支えた栃木県益子のSTARNET創設者・馬場浩史さんが他界されました。一度メールのやり取りをさせていただきましたが、直接お話を伺うことができず残念です。ご冥福をお祈りいたします。
R.I.P.
 BABA Koshi, ex assistant de Tokio s'est éteint en 2013 (je ne le savais pas). Après avoir travaillé pour Tokio, il a fait son étude sur l'architecture puis a déménagé à la région Mashiko (préfecture Tochigi), un coin pittoresque et connu avec sa porcelaine. Là-bas, il a crée un espace "STARNET" qui propose l'art de vivre.
R.I.P.
 Mr. Koshi BABA, ex Tokio assistant had passed away in 2013. After working for Tokio, he studied architecture and moved to Mashiko area (famous with pottery creation) in Tochigi prefecture. There, he established "STARNET", for proposing artistic life style with local production.

ゴム使いのハラコスリッポン

 昨年8月にフランスの売買サイトを通じて、パリ在住のアーティストから譲っていただいたデッドストックの’85-‘86秋冬コレクション・スリッポンです。濃い色の部分がモスグリーンのモデルもあったそうです。
☆ Mocassin en poney
 De la collection ’85-’86 Autumn-Hiver. Un modèle qui a eu beaucoup de succès.
☆ Unborn calf slip-on
 From ’85-’86 Fall-Winter collection. This model got a big success.

Kandinsky パンプス

 昨年9月にパリのヴィンテージショップfr/jp design & vintageで見つけたアートシリーズ、’84春夏コレクションのカンディンスキーパンプスです。レザーにカットを入れて象嵌のような効果を出しています。
☆ Escarpin inspiré Kandinsky
 De la collection ’84 Printemps-été.
☆ Kandinsky pumps
 From ’84 Spring-summer collection.

R.I.P.

 登喜夫さんのアイディアをプロダクトとしてTOKIO KUMAGAïの靴に昇華させた協働者、イタリアの Mr. ZAGATO Amelioが2014年1月8日、ミラノでご逝去されました。’90年代以降は MMM – Maison Martin Margiela の靴製作に携わり、ブランドイコンの一つになっている足袋シリーズはザガト氏の尽力無くては世に出なかったのではないでしょうか。ご冥福をお祈りします。
R.I.P.
 Un grand collaborateur italien pour chaussures de TOKIO, M. ZAGATO Amelio s’est éteint le 8 janvier 2014 à Milan. Après travailler avec Tokio, il a collaboré avec MMM – Maison Martin Margiela pour lancer de fameux TABI modèles.
R.I.P.
 Mr. ZAGATO Amelio, a big Italian collaborator for Tokio’s shoes passed away on the January 8th 2014 in Milano. After working with Tokio, he collaborated with MMM – Maison Martin Margiela for launching the brand’s icon TABI models.

『BRUTUS』1985年12/15号 No.125 マガジンハウス(6・終)

Et Tu, BRUTE ?
重力のフェティシズム 熊谷登喜夫(デザイナー)

  • 日本人と西洋人の共通点はクォリティを重視しての伝統との往復

 今のぼくの生活はパリだけではない。東京にも年4回くらい帰っているし、こうなればもう、東京に旅行にきているというより生活しているということになる。前はパリから遠く離れて日本を見ると言うスタンスだったのだけれど、それがパリと日本を同時に見るという感じになった。
 飛行機の中でも旅行の仕方を覚えてしまい、読みたい本とかカセットを持っていれば、なんの苦もなく往復できる。
 今回飛行機の中で読んだのが、友達からもらった「La mort volontaire au Japon」という本で、日本の自殺について書かれたものだ。これは、フランスではベストセラーになったのだけれど、腹切りから零戦まで歴史的な説明から死のコンセプトの違いまで実に詳細にまとめてある。フランス人にとって腹切りといえば即野蛮人というのが一般的な反応なのだが、筆者は日本人の死というものが根本的に西洋の死とは違うものだという、その相違点を指摘するにとどまり、価値の優劣まで言及しないでいる。つまり、文化論として読んで面白いということだ。
 フランスという国は、伝統を持った国に対する取組み方がすごい。経済的にはダメだけど、文化的にはかなり高い水準を保っている。だから、ヨーロッパは面白いといえる。自分達も複雑だから、日本人みたいな複雑さを実によくつかむ。文化のズレというのは多かれ少なかれどこにでもあるのだけれど、日本人やヨーロッパ人というのは文化を背負っている重さがあるから、クォリティというものにうるさい。インドのものだろうかどこのものだろうがいいものを選択することができる。表面的には流行という現象に押し流されているように見えたとしても、やはりどこかで伝統との往復をしているのだ。
 伝統のある国の現代と伝統のない現代とがある。そして伝統のない現代というのはアメリカにしかない。あとはどこの国へ行こうと伝統のある現代なのだ。インドへ行ったって、エジプトへ行ったって、モロッコでもそうだ。アメリカだけがそれを経済力と軍事力でやろうとするからおかしい。日本はもっともっと、ぼくらのジェネレーションで革命を起こさないとダメだ。でないといつか泣き叫んで後悔する日が目に見えている。気がついた時には、絶対に遅すぎるのだ。

  • 伝統の重力があってこその軽さ。伝統芸術をもっと大事にすべし

 世界中で続いていることだが、パリの日本ブームもまだ続いている。ぼくが15年前に行った時には、だれも日本のことは知らなかった。それが76、77、78年頃から、日本人がパリの町にたくさんくるようになって、日本についての話題が出始めた。最近では、日本人より日本のことをよく知っている。日本の現代の社会がどうなっているとか、日本の危険性とか、そういうかなり突っこんだ情報がバンバン流れている。
 この間も中曽根総理がパリに行くということで、その前に彼がフランスのヌーヴェル・オブセルヴァトゥールとか重要な雑誌の、中堅クラス3人の編集者を日本に呼んだ。ぼくの友達で副編集長をやっているのがいて、彼も1週間日本に滞在した。彼は日本語はさっぱり分からない人なんだけど、いろんなコンフェランスもあったし、いくつかの企業も訪ねてみたらしい。そこで、ジャーナリストだから、当然、質問を試みた。ところが、通訳がついたとしても、その質問に全く答えてくれなかったらしい。どうして日本人は答えないんだ。昔までは日本人は恥ずかしがり屋ということになっていたけど、そんなもんではない。今、現代の日本人はあまりにもマスコミが発達しすぎて、メディアが発達しすぎて、自分でものを考える能力を失った人種じゃないか、といっていた。
 古くさいと思われるかもしれないが、敢えていわせてもらえば、日本には守るべきものがたくさんあると思う。まずは、言葉。言葉は文化そのものであろうし、根本的なものだから、絶対守るべきだ。こういう古い国はフランス人くらい頑固に守らないとダメだと思っている。フランス人は自分たちの言葉を守るために、アメリカからきた言葉を辞書からはずす。ストックなんていう言葉はない。それに、あと、カーなんていうものもない。それから、伝統芸術というものを大事にしていかないとダメだと思う。伝統の重力があって初めて本当の軽さがあると知るべきだ。これは国がやるしかないのかもしれないが、たとえば市とか県とかであれば、そこの芸能とか祭りとか・・・。この前仙台に行ったら、七夕なんて既製品みたいにプラスティックのものを工場で作っている。竹の本物が見あたらない。あのあたりから確実に、日本のマテリアルがダメになってきている。

『BRUTUS』1985年12/15号 No.125 マガジンハウス(5)

Et Tu, BRUTE ?
重力のフェティシズム 熊谷登喜夫(デザイナー)

 最近セイコーの腕時計のデザインをやる機会があり、そのカタログ用の写真をブルース・ウェーバーに依頼した。彼の作品が写真集になる前から、折にふれては彼の作品を見る機会があったし、いちど一緒に仕事をやってみたいと前々から思っていたのだ。
 一番すごかったのは、ロス・オリンピック前に出た「インタビュー」誌の特集だろう。カール・ルイスをはじめ何人かの選手にカメラを向けている。あれは素晴らしかった。例の「インタビュー」誌の紙質だから、ざらついた紙に印刷されている。それも白黒で。これが同じ写真だとしても、写真集として良質の紙に印刷されたならあの素材感は出なかったに違いない。実際、この間出た彼の写真集を見ると、きれいに印刷されているけれども、やはりあれは彼の写真の持っているニュアンスには合っていないように思えた。彼の場合はもっと素材感はラフであって、もっとナチュラルな方が生きてくる。
 この間ロンドンに行って、アルバートミュージアムで20世紀のファッション・フォトグラファー展というのを見てきた。錚々たる写真家たちが名を連ねているのだけれど、やはりある意味で、写真の展覧会というのは退屈してしまう。そこで、写真というのはやっぱり印刷された形で見るものじゃなかろうか、という結論に達した。大きく引き伸ばしても絵に負けるというのは、写真そのものにマチエールがないからだと思ったのだ。
 ブルース・ウェーバーの写真の持つセクシーさは、あの写真集の紙質からは出てこない。それは写真のせいではなく、印刷された物体として見る側に飛び出してくるかどうかの問題なのだ。
 彼は現代的というよりも、現代そのものの人だと思うし、そのフィーリングが彼の写真にうかがえる。だから、立派なものにおさまってしまうと、かえって古くさく感じてしまうところがある。
 彼の最高のもの、彼の写真のすごさは、コロボケーション、挑発だと思う。人間の持っている肉体に対する美意識といってもいい。彼の、男を撮っている写真はとてもセクシーだけど、あれはホモセクシャルの人だけが感じるかどうかの問題ではなくて、普通に結婚して子どもがいる人でもでクシーに感じる類のものだ。

  • ブルースの写真には感性の強さと、時代を見る目の確かさを痛感する

 ブルース・ウェーバーの写真にはぼくは、かなりインテリジェンスを感じる。人が写真を撮るということは当然、その行為においてグラフィックな処理をしているのか、感性的に深いプラスアルファでとらえるようとしているかの個人差が出てきてしまうものだと思う。ブルース・ウェーバーの場合はそれだ。感性の強さと時代を見る目の確かさを、否も応もなく見せつけられる。センスのよさ、バランスのよさが群を抜いている。おそらくテクニック的にいえば、彼はそれほど優れているわけではないだろうが、彼の写真はそんなものではない。もっと違うこと、つまり、材料を集めることとかそれをどうするとか、光を数字的にあてるとか、そういうものとは全く違ったなにか―やはりアーティストとしか呼べないようなセンスに満ちている。
 彼に撮影を頼みはしたが、実はぼくは、彼に直接会ったことはない。人の紹介で彼の奥さんと話したことはある。一応、時計というもので、ブルースが好きに撮ってもらいたい、という条件だけは出した。彼女は、ブルースに聞いてみないと分からないわ、ということだったので、ぼくは手紙を書くことにした。ふつう英語で手紙を書く時には、まず下書きをする。しかしその時に限って、もうパーッと頭に浮かんだことをとりとめもなく書きなぐった。間違いも結構あったはずなのに、どうしても書き直したくないという気持ちに支配されて、そのままポンと送った。すると彼は、予想外に喜んでくれて、「カタログを作る時に、君の落書きをくれ」という返事が届いた。最近彼は、自分の写真に落書きをするけれど、あの乱筆の手紙以来やり始めることにしたらしい。これには、理屈なしにグッときた。
 ぼくの友人の編集者がブルースの写真を撮りに行った時の感想を聞いたことがある。天才的な人らしい。彼がいるとみんな集中して、ちょうど映画を撮る時みたいに状況が変わっていくのだ。その時は女の子のモデルが偶然、自分の本当の弟を連れてきていたので、その姉弟で写真を撮り始めた。彼の海辺の家で撮って、2人をベッドに入れる。ハラハラするほどアヤシイ。そういう状況になる。
 カルバン・クラインオブセッションという香水の宣伝(namourOK注:おそらく下の写真だと思います)も、暗い闇の中によく見ると男が3人いる。アヤシイ写真だ。