Hommage a TOKIO KUMAGAI

パリをデザインの拠点とし、東京コレクションで発表を続けたファッションデザイナーの軌跡をたどります

深井晃子氏の語る登喜夫さん

時代を着る_dernier_livre_KCI

 深井晃子さんが拙質問状にご回答くださいましたのでご紹介します。
 深井さんはパリ・ソルボンヌ大学で美術史をご専攻ののちKCI(京都服飾文化研究財団)にご参加、おそらく日本人で初めてのモードキュレーターとして数々の衣装にまつわる展覧会をお手がけになっておいでです。美術とモードの関係をひも解く独特の視点をお持ちで、その最たる『モードのジャポニズム展』は1994年の京都を皮切りに96年パリと東京、98年L.A.とN.Y.、2003年ニュージーランドへと巡回されるほど高く評価されました。現在KCIの理事兼チーフキュレーターとして、いくつかの展覧会を準備しておられます(ご回答は原文を掲載させていただきました)。
*****
<共通の質問>
Q1. 登喜夫さんとおつきあい(お仕事)を始めたきっかけを教えてください。
よく覚えていませんが、小池一子さんに紹介されたと思います。
1980年代初めごろ、 私はマリアノ・フォルチュニィ展を計画していたのですが、フォルチュニィについて、当時、それほど知る人がいなかったのに登喜夫さんはとてもよく知っていらしたので興味を持ちました。
Q2. 最初に登喜夫さんにお会いになった時の第一印象を教えてください。
パリで、彼がお店を開いた時だと思います。偶然、一人で店番をしていた登喜夫さんと、話しました。私がお店に入ったのも偶然だったと思います。(グリュネル通りだったような気がします。)
Q3. 登喜夫さんを何と呼んでおいででしたか?ご自身は何と呼ばれておいででしたか?
登喜夫さん。深井さん。
Q5. TOKIO by DOMON/TOKIO KUMAGAÏブランドについてどのような印象をお持ちですか?ブランドの品物をお持ちでしたか?今もご愛用中、もしくは大切にとっておいでのお気に入りはありますか?
(持っていた)黒いウールのスーツ、とても好きでした。小柳敦子さん(namourOK注:ギャラリー小柳オーナー、日本のコマーシャルギャラリーの中心的人物)と同じだったのを思い出します。
(大切にとっている)フォルチュニィのプリーツのようなスカート
<個別の質問>
Qa. 深井さんが会場に足をお運びになったTOKIO KUMAGAÏ東京コレクション(以下コレクション)をご教授ください。深井さんが一番思い入れのあるコレクションはおありですか?
□ ’85-‘86秋冬 □ ‘86春夏 □ ’86-‘87秋冬 ■ ’87春夏 □ ’87-‘88秋冬 □ ’88春夏
Qb. 服飾評論家としての、登喜夫さんのクリエイションに対しての率直な意見をご教授ください。
下の回答と重なります。
Qc. KCIご所蔵の中では、トキオクマガイは靴が展示に使われる頻度が多い様に思いますが、キュレーターという観点からは登喜夫さんの服(レディス・メンズともに)はモード史の中でどのように捉えることができるのでしょうか。
1980年代日本ファッションが複数のデザイナーによって世界の注目をひき、その重要な柱となった。しかし活動期間が短すぎ、線として語ることができないのが残念。
Qd. 他にお話しいただけることがあればお願いいたします。
私は80年代、毎日ファッション大賞の審査員をしていました。87年の大賞を選ぶとき、全員一致でトキオ・クマガイが選ばれ、大変スムーズに選考されたのを記憶しています。例年たいてい難航していたのですが。
*****
 ―活動期間が短すぎ、線として語ることができない―、この深井さんのご回答が、今まで登喜夫さんがとり上げられなかった理由を端的に示していると思います。深井さんをはじめ、日本でご活躍のモードキュレーターの方々が登喜夫さんに向き合う日がくるであろうことを祈ります。
 『常設展として収蔵品を公開しない代わりに、KCIはそれを出版という形で公開する』成果が、拙ブログで2月にご紹介した『ファッション』です。
 またKCIは研究誌『ドレスタディ』を刊行しておいでで、私も数冊購入させていただきました。手元にはないのですが、靴の特集号では小池一子氏が登喜夫さんと対談されています。今年50号を迎えられ、そのアーカイブの中からいくつかの文章を厳選したアンソロジー『時代を着る』がこの春出版されました。私の手元にも届いたばかりです(前段落『常設展・・・』部分はこの『時代を着る』あとがきより、深井さんのお言葉です)。
日本が世界に誇る服飾研究機関KCIのHPはこちら
http://www.kci.or.jp/
 お忙しい中ご回答くださいました深井晃子さんにはこの場をお借りしてお礼申し上げます。