Hommage a TOKIO KUMAGAI

パリをデザインの拠点とし、東京コレクションで発表を続けたファッションデザイナーの軌跡をたどります

『男子専科 DANSEN』12.1980 No.201 スタイル社 後

● 「目立たないで、目立つ服。そんなファッションを作りたい。スタイルが上から下まで決まっている・・・なんて、粋じゃない。自由に組合わせて、着重ねて、着くずして。そんなオシャレがとても好きだな
 この数年来、海外の有名デザイナーや有名ブランドの日本上陸が相次ぎ、今では、日本中に世界のファッションが出揃って、溢れている感じがする。だから、あまりの数に、いちいち覚えていられないし、また新しく何とかが日本でデビューと言われても、もう興味も湧いてこない。満腹で、これ以上はいらない、もう、けっこう。そんな気分だ。
 そんな中で、新しく東京で名乗りを上げた二人のデザイナー作品は、久々に、どんなファッションだろうと大きな興味を抱かせるに十分だった。どちらも、パリに住んで永いことになる日本人の男性デザイナーの、日本への逆輸入?的なパリふうエスプリを満載した既製服デザインのデビューだった。
 まず一人は、少し前まで、パリのジャップ(ケンゾーの会社)で、高田賢三の片腕ふうに活躍していた入江末男君が”スタジオV”(ハナエ・モリ系のヤングレディス・ブティック)のプレタポルテを手がけたことだった。ケンゾー調の、現在の日本では珍しい感覚の若い女性の可愛らしさに溢れるコレクションは、大好評だったようだ。
 そしていま一人、パリへ渡って10年近いトキオ・クマガイ(熊谷登喜夫君)が、今度はメンズ・ファッションでデビューするというニュースは期待するに十分だった。
 そのブランド名も、TOKIO。仏語で東京と書くと、そんなつづりになるのだが、ジュリーの歌「TOKIO」に引き続いて、トキオが作るトキオの服・・・とかなりエキサイティングなイメージで名乗りを上げたもの。
 ブランド名がTOKIOなら、さぞやギンギラギンの、ジュリー好みの服と連想されそうだが、全く違う。むしろ、パリふうの粋なイメージを持つ、渋くて男らしいコレクションで登場したのだから、ますます興味深い。
 「スタイルが全部決まっていなくて、非常に組合わせのきく服。トキオの服もそんなイメージ。この、男の洋服への考え方は昔からずうっと同じなんです。だから、製品をみてもらうとよくわかっていただけるはずだけど、袖がどんな形になったとか、衿が大きくなった、小さくなったではなく、自由な考え方で出来上がったもの。一応コレクションとしてはカラーも組合わせてあるけど、これをソックリ着るんじゃなくて、着る側がどんどんくずして欲しい。そう、今着ているジーンズ・ルックの上にすうっとはおるような感じかな。そのかっこうの上にポンポン着て欲しい。それでいて町の中で目立つのがいいですね。これまでのナントカ・ルックって、上から下まで組合わせたのもう時代遅れみたいな気がするんですよ。だれかの言うとおりのオシャレなんて、今や気持ち悪い。だから、僕の服は、着る人がバラバラにして、それぞれが勝手にこなして欲しい。そんな着方をしてほしいな
 ちなみに彼のキャリアを紹介すると、昭和22年仙台生まれの33歳。服飾専門学校在学中に有名な賞を獲得。そのごほうびに’70に在仏、そのまま、パリでスチリストとして活躍。これまで、Koandco(コ・アンド・コ、カステルバジャックのお母さんの既製服メーカー)を手はじめに、注目された頃のカステルバジャック社の企画、サンローランの靴からイタリアの生地メーカーのテキスタイルに至るまで、さまざまなデザインを手がけてきた。婦人物が主体で、メンズ物は、少し前ミラノのフィオルッチで、かなりカジュアルなものを経験しただけ。メンズ・ファッションを本格的に発表するのは、今度のトキオがはじめてということになる。パリの洗練を身につけた彼の感覚に注目が集まるはずだ。
取材/砂山健 カメラ/TOSHI(NY撮影分)、綾部年次 イラスト/熊谷登喜夫 写真・イラスト提供/TOKIO by DOMON (JUN)