Hommage a TOKIO KUMAGAI

パリをデザインの拠点とし、東京コレクションで発表を続けたファッションデザイナーの軌跡をたどります

我妻マリ氏の語る登喜夫さん その2

 我妻さんから、ショーについてもう少し詳しくお話しいただきました。
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<個別の質問>
Qa. 我妻さんがご参加されたTOKIO KUMAGAÏ東京コレクション(以下コレクション)をご教授ください。我妻さんが一番思い入れのあるコレクションはおありですか?
□ ’85-‘86秋冬 □ ‘86春夏 □ ’86-‘87秋冬 □ ’87春夏 □ ’87-‘88秋冬 □ ’88春夏
全部ですが、特に '85~86. '86~87. '88. 最後のショーではモデル一同、スタッフも観客も皆泣いていました。思い出深すぎます。
Qb. 数シーズン、コレクション唯一の女性モデルでいらっしゃいましたが、登喜夫さんが指名し続けた理由を我妻さん自身どのようにお考えですか?
パリで知り合った後、モデルとして呼んで頂いて本当に嬉しく感激しました。その時に話してくれたのですが、登喜夫さんが文化服装学院在学中に当時私が出演していたイヴ・サンロ−ラン、オートクチュールコレクションを登喜夫さんが観に来ていたそうです、自分がコレクションを開く時は私を使いたいと思っていたと。それを聞いてびっくりしました。
Qc. モデルとしてさまざまなランウェイにお立ちでおいでですが、登喜夫さんのコレクションと他のコレクションとに違いがありますか?あればご教授ください。
愛情いっぱいのユニークなファミリーって感じでしょうか。ショーの始まる前から歓声が上がり出演者スタッフ一同一体となっていました。コレクション後も打ち上げに全員参加!大変な騒ぎでした。他のコレクションは良くて2シーズンでモデルを変えるので、このような作り方はモデル達にとっても大きな喜びでありショーにも反映していたと思います。登喜夫さんのショーに出れた事は皆の誇りだったと思います。
Qd. 現在モデルの活動に加えてご自身のブランドを立ち上げておいでですが、服のクリエイションを始めるにあたって登喜夫さんの影響はありましたか? それともむしろご自身の環境からインスパイアされたのでしょうか?
ファッションが大好きなのです。服は作り手と着る側が一体となって生きてくるのでしょう。優しい服を着ると穏やかな気持になるし、元気になる服もあります。私が身を通して経験した事を形にしてみたいと思いました。登喜夫さんから頂いたのは皆を愛する心から、発する服でしょうか。
Qe. 他にお話しいただけることがあればお願いいたします。
大好きな私の天才登喜夫さんは今頃天界で女神様の衣装を一生懸命に作っていると思います(笑)
仙台の家で登喜夫さんは高校卒業を控え、お母さんに一着のスーツを作りプレゼントしました。そしてパリデビューした三宅一生氏のコレクション記事をお母さんに見せて、こう言ったそうです「僕、こういう事をしたいんだ」と服飾の道を説得したそうです。
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 モードの世界はサイクルが早くて、ある意味消費社会の残酷な部分が顕著になっていると思いますが、競争の激しい中でも『人との繋がり』を大切に考えていらした登喜夫さんの姿を知ることができました。モデルに着せたい、とデザインなさった部分もあったのですね。登喜夫さんの靴や服にはユーモアやギミックが見え隠れしますが、それはご自身の性格の現れだったのでしょう。
我妻さんのHP Sky and Cloud はこちら
http://www.sky-cloud-mode.com/
我妻さんがご所属のイプシロン様のHPはこちら
http://www.ipsilon-japan.com/
 お忙しい中ご回答くださいました我妻マリさんにはこの場をお借りしてお礼申し上げます。